Lorem ipsum dolor sit amet, consectetuer adipiscing elit. Phasellus in enim sed sapien semper venenatis. Nam tincidunt interdum ligula. Phasellus pretium lacus ut neque. Donec facilisis, dolor ac mattis congue, est pede consectetuer elit, in sodales diam augue in leo. Donec lectus erat, ultricies vitae, pretium sit amet, eleifend quis, sapien. Vestibulum diam. Quisque ullamcorper, metus sit amet pellentesque viverra, eros dui feugiat nunc, eu pretium tellus eros vel odio.
一昨年の夏に妻と結婚した直後に単身赴任で東京に出てくることになったのですが、その翌月くらいに大阪で新しく家を借りて妻と妻の妹が暮らし始めました。もともとひとりで暮らしていた妻の妹と、単身赴任でボクが出て行ったので一人残された妻とが一つ屋根の下に暮らすことになったのは、妻の会社の同僚の方から破格の家賃で一軒家を借りることが出来たからです。 その家がある場所は昔からずっと住み続けている人が多いところのようで、その家のまわりにもひとり暮らしをしているお年寄りの方が多くいました。そういう場所なので回覧板が回ってきたり、近所づきあいというほどでもないけれど、たとえば『あそこのおばちゃんはゴミの出し方にうるさい』とか(といっても悪気がある訳じゃなくて『だから気をつけた方がいいよ』くらいの調子なのですが)、東京のマンションでひとり暮らしをはじめたボクとは180度異なる住環境でした。大家さんである妻の同僚の方は仕事で日本にいないので、わからないことがあればこの人に相談すればいいということで一番最初に会わせてもらったのが向かいに住んでいるAさんでした。飼い犬と2人で暮らしているおばあさんで、娘さんの家族が近くの(高架線路越しに見える)マンションに暮らしているということでした。引っ越しに際して、ご近所にどのように・どこまで挨拶すればいいか(どうするのがこのあたりの流儀なのか)、ゴミの出し方、回覧板のまわし方、町内会のことなどなど、ご近所への挨拶の時には間に入って紹介までしてもらっていろいろとお世話になりました。引っ越しが終わればボクはまた東京で暮らすことになり、毎月のように大阪に帰りはしていたもののAさんと顔を合わせることもほとんどありませんでした。 妻の妊娠が分かったのがその年の秋で、年明けからの2ヶ月と出産前の2ヶ月半ほどを大阪の家で仕事をして過ごすことになりました。妻は出産間際まで働いていたので(妻の妹も会社勤めだから)日中家にいるのはボクひとり、夕方くらいに玄関のチャイムがなってインターフォンに出るとAさんが雨が降ってきたことを教えてくれ、慌てて洗濯物を取りこんだというようなこともありました。話し込むという機会はあまりなかったけど、子供が出来たことを報告したら喜んでくれていたし、去年の夏に子供が生まれたときも連れて行って見てもらいました。子供が生まれたその月のうちにボクは東京に戻り、妻と子供は妻の実家の富山に里帰りしてしまったのでそれから1度も大阪に帰る機会がなく、もちろんAさんに会うこともありませんでした。 今朝、Aさんが亡くなったことを妻から聞かされました(妹から連絡があったそうです)。めちゃくちゃ親しくしていたわけでもないのに、昔住んでいた家のご近所さんが亡くなったことを引っ越してしばらく経ってから聞いただけではない残念さを感じています。はじめてお会いしたときから、最後にまさに妻たちが車で富山に向かって出て行き、そのあとでボクが新幹線で東京へ戻るために駅まで荷物を引いて歩くときに見送っていただいたときまで、Aさんはずっと元気でした。花に水をやる姿を何度となく見かけました。雑草が伸びていたので草むしりした方が良いと言われました。 どこか『大阪のおばあちゃん』というようなところがあったのかもしれません。ボクは実際に大阪に祖母がいますが、また別の、そして妻にとってはきっとボクよりもそのように感じているのではないかと思っています。息子を連れて行ってもう一度見てもらいたかった。 ご冥福をお祈りしています。
気がつけば3月ももう今日で終わりです。今月もあまりブログを書くことが出来ませんでした。書きたいことはいろいろあったのですがね。最近は家のことや家族のことに多くの時間を費やすのでついブログは後回しに、という言い訳は実は成り立たなくて、ブログを書くのに適当な時間はあったのです。来月こそは。 2週間前に書いたひとつ前のエントリーでは息子のずりばいのことを書きました。今ではもうすっかり這いずり回るようになって、ボクや妻の後を追ってくるようにもなりました。ボクたちがリビングで食事をしているとテーブルの下をはいずりまわってスリッパを掴もうとしたりするのを止めなくてはなりません。さらに目が離せなくなりました。 この間あったことと言えば、先々週末に見学に行ったスイミングスクールに4月から息子を通わせることにしました。ベビークラスというのがあって、週一回のクラスで親と一緒に参加することが出来ます。ボクと妻とで交互に参加する予定です。週末はボクが子供をお風呂に入れているのですが、いまだに髪を洗う段になるとぐずつくことがあります。それは体勢とか狭い空間から来る圧迫感とかが関係しているのかもしれませんが、プールに入ったときにどのような反応をするか今から楽しみです。 また、先週末は池上本門寺へ桜を見に出かけました。まだちょっと早かったみたいで咲いてる花びらもちらほら見られる程度でしたが、まあ必ず桜の花が見られなければならないというのでもなかったので、散歩として楽しかったです。池上本門寺は去年の12月に引っ越す前にその周辺をよくジョギングしていたこともあって(でも中に入ったことがなかったこともあって)、知っているようで知らない場所だったので興味もいっそう深まるというようなことでした。力道山のお墓があったのと、帰りに駅前で買ったくず餅がとてもおいしかったことを付け加えておきます。 それから、ふたつ前のエントリーで携帯電話の調子が悪くてiPhoneにしようか迷っているというようなことを書いたのですが、その2日後にとうとう携帯電話の電源が不定期に落ちたりSIMカードが未挿入だと言われるようになったので、その日のうちにiPhoneに機種変更しました。会社の近くのソフトバンクショップに行ったら機種変更用の在庫がないと言われたので(16Gのホワイト所望)、近隣のソフトバンクショップに電話をかけて確認してみたら3番目に近かった品川の店に在庫があるというのでお昼休みに行ってきました。2週間くらい使っていますが、TwitterとかFlickrでモブログをする頻度は確実にあがっていると思います。 また、このブログを上ノ郷谷さんのiPhone Template Setを使わせていただいてiPhoneに対応させてみました。iPhoneのSafariからアクセスするだけでiPhone用のページに飛ぶようになっていますので、iPhoneユーザーの方はご覧ください(iPod Touchでも見られます)。コメントシステムにはDISQUSを利用しているのですが、従来のページとiPhone用のページとでコメントを共有させたかったので次のような方法を採りました。 まず従来のページにはOgawa::MemorandaのMTにDISQUSを配備するにはの方法でDISQUSが配備されているものとします。iPhone用のエントリーアーカイブにも同じように配備するのですが従来のエントリーアーカイブとはアーカイブマッピングが異なるため(すなわち MTEntryPermalink が異なるため)、それぞれが別のページへのコメントとして記録されてしまいます。解決するにはiPhone用のエントリーアーカイブに配備するコードのうち MTEntryPermalink の部分が(iPhone用のではなく)従来のページのパーマリンクになるように書き換えます。このブログでは次のように書いています。 <div id="disqus_thread"></div> <script type="text/javascript\"> var disqus_url = '<$mt:BlogArchiveURL$><$mt:EntryDate format="%Y/%m/%d_%H%M"$>.php'; var disqus_title = '<$MTEntryTitle encode_js="1"$>'; var disqus_message = '<$MTEntryExcerpt encode_js="1"$>'; </script> <script type="text/javascript\" src="http://disqus.com/forums/greenplasticnet/embed.js"></script> <noscript><a href="http://greenplasticnet.disqus.com/?url=<$mt:BlogArchiveURL$><$mt:EntryDate format="%Y/%m/%d_%H%M"$>.php">View…
息子はずりばいを覚えた
土曜日の深夜にふと目が覚めました。ボクはたぶんあまり夜中にふと目が覚めたりはしない方だと思うのですが、妻と子供と暮らすようになってからは夜中に目を覚ますことはそれこそ日常茶飯事となりました。子供が夜泣きをするからですが、でもそれは『ふと目が覚める』というのとは違いますよね。そのようなわけで、近頃は夜中に目が覚めた時には常に子供の激しい鳴き声が聞こえているのですが、そのときの寝室はしんとしていました。ただ何かが枕元で動く気配がありました。何だろうと首を傾けて目をやると、驚くことにそこには息子が仰向けに寝そべって両手で何かをごそごそと触っていました。とにかく驚いたのは、日中に遊んでいても(寝返りや回転や後ずさりは出来るものの)まだ前方に進むことは出来ず自分でももどかしくなってそのうちに泣いてしまう息子が、いつも寝ている布団から抜け出してボクの枕元まで移動してくるなんてことはほとんど不可能だからです。その驚きを共有したくて慌てて隣で眠る妻を起こして息子の現在地と現在の様子を知らせました。抱いて自分の布団に寝かせ、それでまたボクたちも横になったのですが、またしばらくすると今度は自分の布団の枕元の方へ這いずりだして壁のコンセントに近づこうとしていました。子供用の電灯を置いてあるので気になったのでしょう。今度もまた抱いて布団に寝かせました。
次の日に妻とそのときのことを振り返って話していて、息子はきっとその夜に何かのこつを掴んだんだろうという結論に至りました。正式な『はいはい』というのはどちらかというと四つん這いに近くて両手両足を使ってお腹を床に付けずに前進することを言うみたいなので、息子がそのこつを掴んだのは『ずりばい』なのですが、それでもこれまで出来なくてもどかしかったことを出来るようになってきっと楽しいんだろうなあと思ったりしています。そのような子供の成長を見ることが出来るのも親としては嬉しい限りです。息子の行動範囲が広がり、ボクも妻もますます目が離せなくなりました。
日曜日にさっそくアカチャンホンポでコンセントカバーを買って、今日はアマゾンでベビールームを注文しました。ちょっと目を離すときなんかはベビールームに入れておけば安心出来そうです。
数週間前から携帯電話の調子が悪い。1年半以上使い続けているシャープ製の 912SH の異変に一番最初に気づいたときは、液晶画面のアンテナとか時間が表示されている上の部分に横線がチラッチラッと走るようになってました。それでも十分気になっていたのだけど、気がつけば消えていることもありました。それが次第に横線が長く伸び表示されている時間も長くなって、やがて横線の伸び縮みに呼応して画面全体の明度もチカチカと変化するようにまでなってきました。そこまで来るとさすがに『故障』と『修理』という言葉を意識しだしたのですが、昨日、ラゾーナ川崎に買い物に行ったときにソフトバンクショップで修理にかかる時間と費用を聞いてみたところ、費用についてはメーカーの判断によっては有料になるかもしれないと言われ、時間については2週間くらいかかるかもしれないと言われました。そもそもその場で修理に出すつもりはなかったのですが(修理に出すなら取りに行きやすい会社の近くか通勤途中のソフトバンクショップにするので)、修理に出すのにちょっと敷居が高くなってしまったなあと感じました。 また、iPhone が期間限定で安くなっているのも気にはなっています。iPhone for everybody ということで、5月末までの期間限定で 8GB モデルの機種代負担が実質無料となってます。今の携帯の機種代月賦払いが終わった後の次の機種変更はiPhoneにしようと思ってはいますが、まだ半年くらい月賦払いが残っていますし、また5月末まで安いということはそのあとで新機種が投入される確率が高いのではないかと(誰でも推測出来るようなことを)推測しているので、どうせ iPhone にするなら新しいのにしたいなあという思いもあります。まだ半年分の月賦払いが残っている壊れゆく携帯、期間限定で安くなっている iPhone、そのあと夏くらいに出るのではないかと推測される新しい iPhone。 さらにまた、このタイミングで Apple は iPhone OS 3.0 の発表を明日17日に行うようなので、そこで発表される内容も非常に気になります。今の携帯では出来るけど現行の iPhone には出来ないこと(動画の撮影、テキストのコピー&ペースト)が解決されるなら待つだろうし、それが現行 iPhone のシステムアップデートで可能になるのなら迷うけど、それならいっそのことハードのアップデートも必須になるくらいがボクとしては少しでも迷いが減るのでありがたいかも知れない。 ボクが iPhone に求めるのは、実はそんなに多くありません(今のところ)。moblog(flickr)、twitter、メールチェック、Google マップ、このあたりが出来ればそれで事足りるような気がします。 いずれにせよ、明日の iPhone OS 3.0 発表イベントが楽しみです。日本時間だと18日午前2時からなので、水曜日の朝に情報収集したいと思います。
子供とふたりでお留守番の本番
今日は妻が日帰りで実家の富山での幼なじみの結婚式に出席するために子供とふたりで留守番する日でした。4時半起きで始まった一日でしたが、先ほど子供を寝かして一段落ついたところです。
昨日の夜から雨も降っていたしとにかく風が強くて、今朝になっても天候は変わるどころかむしろ悪くなっているくらいで、羽田から富山へ飛行機が飛べるのだろうかと、もし飛べたとしても危険なフライトになるんじゃないかと心配しないわけにはいかないように、5時過ぎに妻が出て行ってからも強風が窓を打ち付ける音に意識を奪われないわけにはいかないのでした。妻が出て行ってから離乳食を作って(といっても妻が作って冷凍してあるのを電子レンジで温めるだけ)食べさせて、昨日の金曜日に病院でもらってきた蕁麻疹の薬を飲ませました。最初に妻が気づいたのは木曜日の夜にお風呂に入れた後だったのですが、両腕両足に数箇所蚊に刺されたような赤い腫れが出来ていてそれはしばらくしたら消えたそうなのですが(写真に撮ってあったのを見たら結構腫れていた)、翌金曜の朝にもまた同じような腫れが出ていたので妻が病院に連れて行ったのです。そうすると蕁麻疹だと言うことで飲み薬をもらってきたのでした。特にこれという理由もなく(これを食べたからだとかいうこともなく)蕁麻疹というのはかかったりするものらしいので、薬を飲ませてしばらく様子を見ることになりました。
朝の5時台に朝食(離乳食)を食べ終えた息子がバウンサーに横になってミルクを飲んでいる間にボクも朝食を取り、前の日に妻が荷物を片付けて子供が遊べるようにプレイマットを敷いてくれた隣の部屋で子供と遊び、そのうち眠そうになってきたので子供を寝かしてボクも一緒に眠りました。今日はだいたいそのようなことの繰り返しでした。離乳食を食べさせる、ミルクを飲ませる、薬を飲ませる、遊ぶ、そのうち眠くなってくるので寝かせる、ボクも一緒に寝る。さすがに昼以降はボクは寝ませんでしたが、やはり子供が寝てくれると楽は楽なので、ちょっと昼寝させすぎたかもしれません。
一日子供に付きっきりで過ごして、あらためて子供の成長を感じさせられました。いろんなことに興味を持つようになったこと、ひとつの行動が次の行動に繋がっていく様、さっき経験したことが次の行動に生かされること、などなど。ハイハイもまだまだ未完成だけど少しずつ前進できるようになってきて、我が子の成長が嬉しい反面、ますます目が離せなくなるのでした。目を離すといえば、近頃では子供の視界から姿を消すと泣くようになりました。『誰かがいる、誰もいない』ということも認識できるようになったということでしょう。
今日はホントに子供とたっぷり遊ぶことが出来ました。めちゃくちゃ楽しかったです。
昨日は妻が鮫洲へ運転免許証の更新に行かないといけなかったので(大阪で数年前に事故ったので2時間の講習を受けないといけなかったので)朝一から昼過ぎまで子供とふたりきりになりました。これだけの長い時間を子供とふたりきりで過ごすのは初めてのことだと思います。7時過ぎに妻が家を出てから寝室からリビングへ子供を連れて行って、妻が用意してくれていた離乳食を子供に食べさせました。妻の姿が見えないとぐずったりしてしまうかなと思ったりしていたのだけどそういうこともなく、いつものように iTunes で童謡を流しながらの朝ごはん。人参と昆布だしの入ったおかゆを最初は美味しそうに食べていたのだけどだんだんペースが落ちてきて半分くらい残して食べなくなった。夜中に飲んだミルクの残りを哺乳瓶ごと渡しても飲まないので、リビングにプレイマットを敷いてしばらく絵本を読んだりして遊んでいたら食欲がわいてきたのかお粥の残りも食べてくれました。 抱いてあやしているうちに眠りそうになったら寝室に連れて行ってなんとか眠らせようとしました。その隙にボク自身も眠りたかったからです。9時前くらいに眠らせたら20分くらいで泣き出したので再びリビングで遊んでるうちに床に横になっていたらうとうとしてしまいました。ひとりであやしたり、ひとりで眠らせたり、ひとりでミルクを作って飲ませたり、ひとりで離乳食を食べさせたり、ひとりでおむつを替えたり、どれも初めてやることではないのだけどこれらのことを毎日ひとりでやってくれている妻に感謝しないといけないなとあらためて思いました。 お昼にまた眠そうになってきたので寝室に連れて行って眠らせようとしたら今度はなかなか寝付けないようで抱いてあやしていたのだけど、立って抱いているのがだんだんしんどくなってきたので仰向けになったボクの体の上にうつぶせに寝させたら眠ったので、40分くらいそのままの状態で、胸の上の子供の寝顔を携帯電話のカメラで写真に撮って妻に送ったりしていました。そのうち妻が帰ってきたので子供をリビングに連れて行ってお留守番の完了となりました。 午前中だけでものすごく疲れてしまったのですが、昨日は少し機嫌が悪かったのかどうか、床に座らせたり寝かせたりするとぐずり出すので抱いている時間が長かったと思います。最近は抱っこして欲しいと態度で示しているとボクが(勝手に?)思っているような仕草を示すようになったようで、それはとてもうれしいです。抱っこして欲しいってことは信頼の証でしょうからね。たださすがにずっと抱いていると体は疲れてきます。もちろん目の前で泣かれるとボクの体の疲れなんて二の次になるわけですが。 実は昨日の半日は来週の予行練習でもありました。来週土曜日に妻の地元の富山で幼なじみの結婚式があって、日帰りで行くことになっているのです。朝一の飛行機で行って最終便で帰ってくるので本当に丸々1日を子供とふたりきりで過ごします。昨日は実現出来なかったけど次は天気が良ければ出かけたりもしたいなと思っています。ボクの方もひとつひとつ、子育てスキルを上げていかないといけません。 そういえば下の歯が生えてきて、今は下の前歯が2本だけ白いのを覗かせています。口の中に溶けてなくなりそうな角砂糖が2つ残ってるみたいな感じですが、指を噛まれると(ボクが噛まれるのは指くらいです)生えてなかった時と比べて格段に痛い。これまでは笑っても歯茎しか見えなくてまるでおじいちゃんみたいやなと思っていたのが、今では2本だけ覗かせているのがまるで出っ歯みたいでおもしろいのです。『もっと歯が生えたらもっといろんなものが食べられるんやで』と大阪弁で話しかけております。
あっという間に2月は去り、3月になりました
はやいもので3月になりました。
先月は2回しかブログを書きませんでした。妻と子供との新しい生活をスタートさせたのだし、荷物の整理に伴うこと(処分した物品に纏わるエピソードなどなど)、新調した家具に伴うこと(品定めから実際に買いに出かけた際に遭遇した出来事、子供を寝かしつけながら家具を組み立てたことなどなど)、妻との会話や子供と遊んでいて気がついたことなど、書く(べきだと自分で思うような)ことには事欠かなかったはずなのに、2回しか書きませんでした。
先月の最初の週末に妻と子供が引っ越してきてから今日までの間に、家具やカーテンの生地などを求めて IKEA に3回(妻は平日にも1度行ったので4回)足を運びました。週末ごとに何かを組み立てていたような気がしますが、この週末に本棚とソファを組み立ててようやく一段落。コーヒーテーブルは買わないといけませんが、しばらくは既存の荷物の整理に時間を費やすことになりそうです。とりあえず段ボール箱3つ分の本とCDは処分しました。
昨日は午前中にソファを組み立て終わって、昼ごはんを食べてからくつろいでいたら早速ソファでうとうととしてしまいました。夕方くらいに少し離れたところにあるスーパーマーケットまで(川沿いを歩いて)散歩がてらに出かけようと準備をしていたら、家を出る段になって雨がぱらついてきたのでまっすぐスーパーだけに行くことにしました。そこで隣の隣の駅に住んでいる会社の同僚にばったり出くわすというハプニングがあり、目当てにして来たタイムサービスの卵は売り切れていて、料理酒も小麦粉も分量の多いお得なものは悉く売り切れていました。でもまあ初めてくる店だったのでどういう感じかを見られて良かったと妻も言ってたのでよかったです。
週末は子供とお風呂に入っています(平日は帰りが遅くて難しいので)。先々週くらいにガーゼハンカチに空気を含ませてお湯の中で泡をぶくぶくさせたら不思議そうな顔をして見ていました。最初はボクが泡を出すのをただ見ていただけだったけど、次の日は自分で触ってみて泡を出していました。お風呂ではおとなしくて髪を洗うときには泣くこともあるのだけど、このぶくぶく遊びだけは『なんだろう』というような顔をしてじっと見ています。
夜ごはんには妻の叔父さんが送ってくれたラーメンを食べました。2人前ずつ何種類か入っていて、以前にも何度か送ってもらったことがあります。昨日は豚骨ラーメンを妻が選んで作ってくれました。妻がお風呂に入ってる間、ソファで寛いで読書しました(子どもの貧困)。
最近の暮らしぶり
妻と子供と暮らすようになってから、お腹の風邪で寝込んだ先週末の二日間を除いて、毎朝7時前後に起きています。子供が6時から7時くらいに起きてしまうので、奇声を発して遊んでいるのについついつられて起きてしまったり、子供とリビングに行ってた妻が子供を連れて起こしに来てくれたりしてボクが起きるのがだいたいそのくらいの時間になるので、妻はもすこし早い時間に起きているようですし、寝る時間はだいたい同じなのですが、夜中に何度か泣く子供にミルクを与えたりしてくれています。
朝は子供がまだふとんの上で遊んでいれば一緒に遊んで、もう妻がリビングに連れて行ってたら朝ごはんを食べながら子供に離乳食を食べさせたり、時間の許す限り抱いていろいろお話ししたりして、出かける準備をして仕事に行きます。妻が毎日パンとおにぎりを持たせてくれるのでお昼ごはんはだいたいそれで済ませてしまって、会社の近くの喫茶店で本を読んでいます。単身赴任の一人暮らしから家族での生活に変わって本を読む時間をどこで確保するかというのが大きな問題になりました。通勤電車の中と仕事の休憩時間と、それから平日は妻が子供をお風呂に入れるので(ボクが帰る時間では遅い)お湯に浸かりながら読んでいます。家具を揃えて荷物を片付けて一段落が付けば、眠る前にも少し読む時間が作れそうです。ともかく、定時に会社を出て家に帰っても早いときでは子供はもう寝てしまっているので、最近は残業しないで済むように業務時間内に急いで仕事しています。しかしまあ仕事というのはやればやるほど集まってくるものですね。どうやら急いでやろうがゆっくりやろうが関係ないようです :p
夜は家に帰ると妻が夜ごはんを作ってくれます。子供を寝かせて(家に帰ったときに寝てるのと起きてるのは今のところ半々くらいかな)、一緒に食事をして、お菓子なんかをつまみながら買わないといけないあれこれ、片付けないといけないあれこれ、その他のあれこれ、などについて話をし、ボクがお風呂に入っている間に妻は再就職を見こして通関士の資格取得に向けての勉強をしているようです。お風呂からあがってきても勉強を続けていて、ボクもネットを見たりなんかしながら、だいたい11時か遅くても12時までにはふとんに入って寝ます。
早寝早起きの生活がすっかり定着しました。それは歓迎するものです。
今週あたりからいよいよ本格的な花粉シーズン到来といった様相を呈してきていて、家にいて起きているとき以外は(家で寝るときも)ずっとマスクをしています。去年は花粉症で痛い思いをしたので今年こそは事前から対策をして……と思っていたのですが、いざとなると何をどう対策して良いのやらわからないという何とも情けない話になって。。。それで結局何をすることもなくシーズンを迎えてしまうことになりました。とにかく症状を出したらおしまいだということで、花粉を体の中に入れないのだという、それはもう絶対に入れないのだという心構えでもって臨んでいます。目が痒いのは仕方ないので目薬を使うことにして、鼻と口はマスクでガード、家に帰ってきたら衣類にファブリーズのハウスダストクリアをスプレーして空気清浄機を花粉モードに。とにかく花粉症の症状が出てしまう臨界点を越えてしまわないように必死です。 今月最初の週末に(妻の)実家の富山から妻と子供が東京に引っ越してきました。約1年7ヶ月に及ぶ単身赴任生活にピリオドが打たれて10日ほどが経とうとしています。この間、先週末にボクはお腹をウイルスにやられて丸2日間寝込んでしまいました。本当にほとんど丸々寝ていたし、3食かけてやっとうどん1杯を食べきることが出来たというくらいに食欲がすっかり失われていました。日曜日になってようやく快復して、届いたばかりのIKEAの家具を妻と組み立てたりしていたのですが、今週になって息子と妻が立て続けに同じような症状に見舞われてしまいました。最初にウイルスを家に持ち込んだのはボクなので責任感大です。
1月17日の夜にGIGAZINEのあの「阪神・淡路大震災」で本当は一体何が起きていたのか、その真実がよくわかるムービー集 - GIGAZINEというエントリーをみつけて、そこからリンクの張られたyoutubeの動画を見続けていた。ボクが東京に出てきたのはまだ1年半くらい前のことで、それまでは生まれてからずっと大阪に住んでいたので、1995年1月17日のことは今でもとても良く覚えています。 その瞬間、1995年1月17日午前5時46分に自分が何をしていたかというと、布団に入って眠ろうとしていました。どういう理由かは忘れたけど朝方まで起きていたようです。ちょうど布団に入ってうとうととしかけたところに激しい揺れが訪れ、はじめはそれが現実のものだとは思いませんでした。夢の領域に属するものだと感じたのですが、その揺れによって眠りから覚まされると部屋にあったタンスが激しく揺れていてその上に載せていた物が落ちてきそうになっているのを支えようとしたものの、それが自分の頭の上に落ちてきたのを覚えています。特に重い物が載っていたわけでもなくて、部屋を出て台所を見ても食器が割れているとかいうようなことはありませんでした。大阪でも比較的東よりの地域だったので被害も少なかったのかも知れません。しかしそれまで経験したことのないほどの揺れであったことは確かだったので、そのまま眠るのをやめてテレビを見続けました。 阪神高速道路が橋桁ごと倒れてしまっている映像を見たときの驚きはそれ以前に経験したことのないものだったし、それ以降でいえば2001年9月11日にニューヨークのワールドトレードセンターに旅客機が突っ込む模様をテレビの画面で目撃したのと同じくらいの衝撃を受けました。どちらの映像を見たときも、そのようなことが現実に起こりうるのだという可能性を自ら考えてこなかったことに対する不甲斐なさと、それでは一体誰がこのような事態を想定できて、一体どのような対策を講じることが出来たのかという無力感と、単純にそれまでフィクションの中でしか起こらなかった事態・見たことのない映像を前にした興奮とに襲われた記憶があります。震災の約2ヶ月後に起こった地下鉄サリン事件の映像もテレビで見てはいましたが、一体東京で何が起こっているのだと思ったものの、不甲斐なさや無力感といったものには襲われませんでした。その代わりに(というのも変だけど)それからしばらくの間、大阪で電車に乗っていると突然不安感に襲われて気分が悪くなり、途中の駅で休むというようなことを経験することにはなりましたが。 震災後、何度となく神戸の街にも足を運びましたし、ルミナリエにも何度か行きました。震災直後にも神戸には足を運んだのですが、まだ傾いたままの建物を実際に目にもしました。中学3年生の冬にメリケンパークを訪れて以来、次にメリケンパークを訪れたのは震災後でした。そこには以前にはなかった震災被害のメモリアルパークがありました。 東京に出てきて1年半あまりが経ちますが、大きな地震が起こるとしきりにいわれています。阪神・淡路大震災という未曾有の大被害から学ぶべきことは、日頃から地震対策を怠らないということではないでしょうか。たとえば非常食、携帯電話などの通信網が機能しなくなったときに家族と落ち合う場所を決めておくこと。 あの震災から14年が経って、あのときの映像を夜中に一人で見ていると、あのときには感じなかった思いが芽生えてきます。倒壊した家屋の下敷きになった家族を助けられないことの無力感と苛立ち、諦めの声の裏にある重い感情。6400人以上の死者を出したこの未曾有の災害からボクたち生き残ったものは学び取り、対策を立てなければなりません。国・自治体といった行政レベルと、それからもちろん各家庭レベルでもです。 このようなことを書いているボク自身も現時点ではまったく何もしていません。非常食、懐中電灯、発電式のラジオ、簡易医療セット、そのようなものを揃えるところからはじめようと思います。
金曜の夜に仕事帰りに映画チェ 28歳の革命を見に行ってきました。東京に出てきてそういうこと(会社帰りに映画を見に行くこと)をするのははじめてのことです。しようと思えばいくらでも出来たはずなのに、気持ちの変化なのかそれとも作品に惹きつけられたのだろうか。 ラゾーナ川崎にある109シネマズで見たのですが、9時15分からのレイトショーだと1200円なのです。7時半くらいに会社を出て8時前には着いたので、まず映画館で席を確保してから1階のフードコートで夜ごはんに盛岡冷麺を食べました。ごはんを食べても映画の時間までけっこうあるので喫茶店でコーヒー飲みながら読書できると予想していたのですが、無印良品や書店をぶらぶらしているとそんなでもなくなりました。なのでそのまま映画館に行ってベンチで本を読みながら待っていたらすぐに入場がはじまりました。金曜日のレイトショーを見に行く人は少ないのかも知れません。 映画は1956年から1959年にかけてのキューバ革命を目指した闘争と、1964年のニューヨークでの国連総会での演説の様子が平行して描かれていました。闘争のシーンでは(山の中での単調なシーンが続いたあたりで少しうとうとしてしまったのですが)パレスチナのことを思い出さないわけにはいきませんでした。とくに革命軍が都市部に侵攻してから、市街地に隠れた革命軍に対して軍事政権が空爆を行い市民が巻き込まれている場面を見ると、市民が生活を送っている街中に爆弾が落ちてくることからの連想でイスラエルのガザ侵攻を思い出さないわけにはいきませんでした。 映画を見て考えたこと。 支配する者(虐げる者)と、支配される者(虐げられる者)がいるところで、虐げられる者が解放されるにいたる道がもし武力闘争しかないとしたら悲しい気がする。ただ、虐げる者はやはり武力を背景にして支配を行っているわけだから、支配する側に大きな転換がない限り、それに対抗しようとするとやはり武力を持って行うしかないのだろうか。 ただ、今この時代に武力闘争は可能なのだろうかとも思った。支配する者の圧倒的な軍事力に対抗するのは難しい。イスラエル軍とハマースとの軍事力の差は圧倒的なので軍事力を前提とした武力による闘争は成功しないと思わざるを得ない。この映画を見ていると、支配される者が解放されるに至る道は武力闘争しかないのではないかと思うようになるのだけど、圧倒的な軍事力の差を前にするとそれはけして成功しないだろうと思わざるを得ない。 ではどうすればよいのだろうか。それは虐げられている当事者だけに闘わせないことではないでしょうか。たとえ中東から遠く離れていようと、ガザで何がなされたのかということを知り、そしてそれに反対の声を上げなければならないのではないでしょうか。この1ヶ月、ガザのことを考えない日はないのですが、そのことを会社なんかでまわりの人と話した記憶がほとんどありません。1300人以上の人が死んでいるというのにこの無関心さは何なのかと問いただしたくなったりします。 そしてガザだけではなく他の問題にも、そして自分自身が虐げる側にまわっていないかということについても敏感になりたい。キューバ革命が虐げられる者を解放したとはいえ、その武力闘争の中で革命軍が多くの軍事政権の兵士を殺害したことそのものにはボクはやっぱり諸手を挙げて賛成は出来ません。ガザ侵攻についてもガザ市民に1300人以上の犠牲者がいるとともにイスラエル側にも犠牲者がいることを忘れてはいけないと思う。死者の数は何かの根拠になるのではなく、それだけの悲しみがそこに生み出されたということ、必要のないものがそれだけ生み出されたということなのだと思います。
会社の近くにさくら水産があるのでお昼によく利用している(一時期は毎日通っていた)。夜は最近は行ってないなあ。 Plagger でさくら水産のランチメニューをごにょごにょするこちらのスクリプトさくら水産の日替わり定食献立表を取得する - noboruhiの日記 - Plaggerグループがそのままだと動かなかったので下記のように書き直してみました。 assets/plugins/CustomFeed-Script/sakura.pl !/usr/bin/perl -w use strict; use utf8; use DateTime; use DateTime::Format::W3CDTF; use Encode; use Web::Scraper; use URI; use YAML; my $uri = URI->new("http://www.teraken.co.jp/menu/lunchmenu/index.html"); my $s = scraper { process "table tr", "list[]" =>…
『戦争反対―占領終結 ガザ攻撃に抗議する』緊急集会に参加して考えたこと
先週末土曜日に東京は本郷で行われたイスラエルによるガザ攻撃に抗議する集会に参加してきました。 HOWSホールという(良い感じに)くたびれた感じのビルの一室に最終的には入りきらないくらいの人が集まりました(40〜50人くらいかな)。ボクは少し早めに着いたので最前列の一番右という喋る人の近くで表情を窺いながら話を聞くことが出来ました。岡真理さんの話にはボク自身気がついていなかったことに気がつかされる話がありました。岡さんが京都新聞に寄稿されたこちらの記事では、『知らなかった(から仕方ない)』といって自己を正当化する(あるいは、逃げ道を用意する)とき、では『知っていたら行動を起こしていたのですか?』という問いに自分はどう答えられるだろうかと考えさせられました。他にも日本のマスメディアがいかに偏った情報しか伝えていないかということもおっしゃられていました(テレビも新聞も読まないのですが、聞くところによるとひどいようです)。 年末までヨルダン川西岸にいたというジャーナリストの小田切拓さんは、主にマスメディアへの働きかけの話をされました。岡さんもおっしゃられていたのですが、新聞やテレビのニュース番組といったマスメディアのみを情報源とする人たちと、その日その場に集まったようなネットで積極的に情報を入手している人たちとの間で、今回のイスラエルによるガザ侵攻に対する考え方が大きく異なるとのことでした。マスコミでは『イスラム原理主義組織ハマースによるミサイル攻撃への反撃』として今回のイスラエルによるガザ侵攻が伝えられているそうですが、そもそもの問題の根源を考えない限りパレスチナ問題は解決しません。ガザは40年以上にわたってイスラエルに占領されているのです。そのことを多くの人が知るためにも間違った報道をただすための抗議をメディアに対して行ってみてはどうかという提案がありました。小田切さんはテレビのニュース番組に関わっていたこともあるそうで、どのニュース番組だと視聴者の意見が伝わりやすいかという話もされていました。NEWS23が『攻めどころ』だそうです。今夜にでも携帯電話のワンセグで見てみようと思います。 今回の岡さんの講演のテーマでもある『私たちに何ができるか』ということを自分に引きつけて考えてみると、たとえばこのような集会に参加してそこで話されたことや自分が考えたこと、あるいはそのような集会やデモが今度あります(ボクも参加する予定です)とかいうことをブログに書くことも自分に出来ることのひとつだと思います。またデモに参加したりしてきちんと抗議の声を上げることが必要なのだと思います。 日曜日にも東京では映画の上映と岡さんの講演があったのですが、土曜の夜から腰痛が出てきて日曜日は家でずっと寝ていました。今はイスラエル・ハマース双方とも停戦状態に入ったようですが、イスラエル軍はガザに残留しています。イスラエルが停戦宣言をしてそれを実行したところで何も褒められたことじゃないということを肝に銘じておかないといけません。イスラエルは昨年12月27日に攻撃を開始してからすでに1300人以上のパレスチナ人を殺したのです。ガザはイスラエルにより40年以上にわたって占領され続けています。占領されるものが占領するものに抵抗するのは当然のことではないですか? 占領されるものと占領するものとの圧倒的な軍事力の差や、占領されるものと占領するものとの圧倒的な死者数の差には目もくれないわけですか? そんなことはまったくフェアじゃない。 40年以上にわたり占領し続け、この二十数日間で1300人以上の人々を殺害した罪の責任は問われるべきです。イスラエル軍はガザから即時撤退し、イスラエルはガザの占領状態を即時解除するべきです。 土曜日の集会ではじめて聞いた、占領下のガザでのパレスチナの人々の生活はひどいものでした。そのような状態が一刻も早く解消されることを強く希望するとともに、かつて日本が他国を占領した歴史についても考えていかなければならないと思いました。
すっかり運動不足の日々が当たり前のように続いていたので、祝日だった月曜日の昼から久しぶりにジョギングに出かけました。引っ越してきた次の週くらいに走ったきりだったと思うので、約1ヶ月ぶりでしょうか。そのときも久しぶりのジョギングだったからか30分しか走れなかったと記憶してますが、今回はがんばって1時間走りました。 自宅から多摩川まで歩いて10分で出ることが出来ます。丸子橋と多摩川大橋の中間地点くらいの地点で、まずは前回と同じく上流へ向かって走り始めます。今回はゆっくりしたペースでも良いのでとにかく1時間は走ろうと決意してました。それでいつもよりもゆっくりしたペースで走っていたのですが(いつもでも6分/kmくらいのペースですが)、どうも Nike+ の様子がおかしいみたいでものすごいハイペースになっている。5分で1.2キロとか走ってることになってるからびっくり。その後もしばらく間違ったペースが続いたものの、途中からおとなしくなった。ガス橋をくぐって横須賀線・東海道新幹線の線路をくぐって丸子橋の手前で折り返し、同じコースを戻ってスタート地点を通り過ぎて多摩川大橋の手前で再び折り返し、再度スタート地点を通り過ぎてガス橋をくぐって最後に少しペースを上げて1時間。風が強くて向かい風になるとペースが落ちるのが感じられましたが、全体的には無理せず心地よく走ることが出来たと思います。再びジョギングを習慣づけないといけないので、心地よく走り終えるのも大切なことのひとつです。 結局、Nike+ によると10kmちょっと走ったみたいですが走り出しのトラッキングがおかしかったので当てにならないと思い、Google マップで距離を測定してみました。丸子橋〜多摩川大橋がだいたい4kmくらいだったので、往復8kmプラスアルファといったところでしょうか。以前は1時間で10kmオーバーだったので、また習慣づけて以前の状態に戻ってさらにその先を目指したいです。
イスラエルによるパレスチナのガザ自治区への侵攻に対するデモが世界各地で起こっている。この前の土曜日と日曜日にも東京でデモの呼びかけがあったことを次の日に知った。そのような情報を積極的に見つけようとしてなかったのだから、もし知っていればなんて言っても仕方がない。 世界で起こっている許せない出来事に対して具体的に反対の声を上げたいと思うようになった。以前は考えるだけで行動には移したことがなかったし、もっと以前は考えさえすらしていなかったかもしれない。なぜそのように思うようになったのか。息子が生まれて、彼がこの先その中で育っていかなければならないこの世界を少しでも平和でまともで素晴らしいものにしなくてはいけないのではないかと考えるようになった。そしてガザでたくさんの子供たちも命を失っていることを知った。 ボクはまだまだ Wikipedia のガザ侵攻 (2009年)の項もひとつの情報源として、自分なりの関わりを開始したばかりです。まだまだ知らないことが多い。いったい何が出来るのだろうと思ったりするけど、自分一人に何が出来るのだろうなんて自意識過剰な考え方はやめて、みんなが少しずつでも自分の出来ることをしていけば、そしてそうする人の数が増えていけば何かが起こるはずだし何かが変わるはずだと思っています。 今週末の1月17日に(東京)講演・上映会/緊急集会 戦争反対—占領終結 ガザ攻撃に抗議するに参加しようと思います。出来ることからはじめていきます。
土曜日に自宅に会社の同僚を招いてたこ焼きパーティーをしました。引っ越してから家にお客さんを呼ぶのははじめてのことです。昼過ぎに最寄りの駅で待ち合わせてスーパーで食材とお酒を買い込んで、家に着いてからはとりあえず乾杯してからたこ焼きの準備に取りかかりました。事前に同僚のSさんがやまちゃんという大阪の天王寺にあるたこ焼き屋さんのサイトでオリジナルの粉を注文してくれていたので、集まった6人中3人が実際にやまちゃんのたこ焼きを食べたことがあったので、その味が再現できるのかどうかが注目されるところでした。結果的には近い味にはなっていたと思います。鉄板が電気式の簡易なもので温度の調節が出来ないのと位置によって温度にむらがあるためにどうしても少し焼きすぎてしまうのでした。市販の粉で自分の分量で焼くのも楽しいのですが、こうして有名店の粉を使ってその通りに作ってみるのも楽でよいですね。 家でたこ焼きを焼くときに市販の粉を買っても水の分量を守ったことはなかったけど、今回は書いてある通りにしたのでした。市販の粉だと書いてある水の量では粉が固すぎるのです。それでは外がカリッとしていて中が柔らかいたこ焼きは焼けません。やまちゃんの粉は書いてある通りの分量で『外はカリッと中は柔らかい』やまちゃん流のたこ焼きが焼けました。その分焼くのが少し難しいかも知れませんが、そこは各人の努力次第でしょう。 他には焼きそばを作ってもらって、あとは乾き物でそれぞれが好きなお酒を飲んでいました。テーブルも何もないリビングの床に座って、引っ越し後まだ開封していない段ボール箱をいくつか持ってきてその上でたこ焼きを焼いていました。もちろん普段会社ではしないような話もたくさん飛び交っていて楽しかったです。気がつくと9時前になっていたのでお開きとなって、電車で帰る人を駅まで見送ってから自転車で来ていた(自転車で来れるくらいのところに住んでいる)同僚の方を散歩代わりに送っていきました(良い感じに酔っておられたので)。引っ越すにあたって家を探していたエリアなので何度か足を運んだこともあって、細かな道まではわからないけど目安となるようなたとえば線路や大きな道などは頭に入っていたので、はじめて歩く道だったけど気にせず送っていき、帰りも自宅の方角へとどんどん知らない道を妻と電話で話ながら歩いていきました。とても寒くて早く家にたどり着きたかったのですが道がわからないので『あとどのくらい』というのがわかりません。ようやく知っている道に出てちょうど家に着く頃に携帯電話の電池が切れたので充電しながら妻と話し続けました。 同じ日の午前中に富山では妻が息子を連れてはっぴーママという雑誌の撮影会に行ってました。参加費用が千円かかるのですが、もしかしたら表紙に載るかも知れないし、もし表紙に載らなくても中のページには必ず載るし写真ももらえるとのことなので、まあ記念に撮ってもらうことにしたのです。撮影後に妻から電話で『全然笑わなかったからあかんかも』と聞いていたのですが、後でそのときの様子を撮った動画を送ってもらって見たら本当に笑ってませんでした。一生懸命になって笑わせようとするカメラマンやアシスタントの人(?)や妻など大人の努力にチラッと目を向けてはクールに少し広角をゆがめるくらいしか笑いません。そのような息子の『その程度で笑えるか』という態度は、それはそれで褒めてあげたいような気もします。でもまあせっかくなので笑って欲しかったけどね。そりゃまあ表紙に載れば記念になりますしね。 とまあ、笑っていれば表紙間違いなしだったのに、とか言う日が来るかもしれません。